Patti Smith(パティ・スミス)についてのこと・ノーベル賞授賞式LIVE

ノーベル賞授賞式で、Bob Dylan(ボブ・ディラン)の「A Hard Rain’s A-Gonna Fall」を歌うPatti Smith(パティ・スミス)の動画です。

パティがどうしてノーベル賞受賞式でボブ・ディランに代わりパフォーマンスを行う事になったのかは連日の報道を見てのとおりです。

ここでパティのことを少し。

私にとってパティはカリスマであり、思春期において最も影響を受けた人物です。

中学一年の時でしょうか。「CBGB」でのライブをラジオで聴いて衝撃を受け、それと同時期に、当時愛読していた「MUSIC LIFE」という雑誌でパティの写真を初めて見たのです。

彼女は男性だか女性だか一見分からない出で立ちで、写真の下にはこう書かれていました。
「髪もとかさず、化粧もせず、それでも魅力的だと言われる」

そしてデビューアルバムのHorsesを手に、歌詞(詩でもある)を読んだ時の衝撃は忘れられません。
何度もなんども読み返したものです。

その後もRadio Ethiopia (1976年)、 Easter (1978年)、 Wave(1979年)、、、、。

彼女のアルバムと共に私の青春があった。

パティは、若き日を今は無くなったNYの「チェルシーホテル」にて過ごしている。
様々な芸術家との関わり。

彼女は、常に高名な男性(女性)と関わりがあった。

エッジの効いた詞のポエトリー・リーディングと、彼女が従えるバンドのハードな音の構成。
クールで、媚びない彼女の外見。
そして熱情がほとばしる様なLIVE
Patti Smith Ask The AngelsPatti Smith Group Stockholm, Sweden 1976

(Ivan Kral が在籍していたころのLIVE・・・なんと、平和賞以外のノーベル賞授賞式が行われる、スウェーデン・ストックホルムでのライブです)

私は夢中で、寝ても覚めてもパティだった、、、。

そして何より驚いたことは「結婚」の為に、その偉大なキャリアを捨て、専業主婦となった事だ。
パティが専業主婦?あのパティが?・・・(しかし彼女には10代の頃、産まれた女の子を養子に出さざるを得なかったという過去があったのだった。)

そして幸せな生活の中で、子育てが落ち着いたとの事で復帰。第一弾はDream Of Life (1988年)。
このアルバムの中の「People Have The Power」は今でもライブでの重要チューンとなっている。
Patti Smith-People Have The Power 1988

幸せな家庭を持ち、子供を得たパティは、このアルバムでは「破壊」から「創出」へと変化した様に、思えた。
過去にPatti Smith groupに在籍し(実はBlondieにも在籍していたことがある)Ivan Kralhは、自身が監督したNYパンク・ドキュメンタリー「BLANK GENERATION」の中で「彼女の話す内容は、子供の事だけ、それ以外に無かった」とその頃のパティを回想しています。

そして「全てに対し【オリジナル】であったのは、オノ・ヨーコと彼女だけだった」とも。
(私は昔も今も「オリジナル」という行為を心から尊敬しあこがれ、少しでも近づきたいと、、、思っています、、、。)

・・・・・ところが、パティのそんな穏やかな生活も、夫の急死によって終わりを告げたのでした。

なんという運命なのでしょう。

しかし彼女はその後、再び激しく、ソリッドに復活を遂げます。それはまさに、ファーストアルバムの題名でもある「牝馬」。

子供を守る闘い。悲壮と慈愛と慟哭と、そして将来への希望と。愛する物を守る姿・・・私はそう感じたのでした。

Patti Smith – Summer Cannibals 1996